「自分が見たい世界を生きる」大山峻護氏 オンラインセミナー – 助成金制度推進センター
「自分が見たい世界を生きる」大山峻護氏 オンラインセミナー
2021.08.24
元総合格闘家 初代 ROAD FCミドル級王者大山峻護 氏
略 歴

1974 年生まれ。5歳より柔道を学ぶ。
全日本学生体重別選手権準優勝、世界学生選手権出場、全日本実業団個人選手権81キロ以下級優勝。2000 年プロ格闘家に転身。アメリカのキングオブザケージでマイク・ボーグを右ストレート17秒で倒す。PRIDE初参戦の「RIDE.14」ではヴァンダレイ・シウバと対戦。05年K-1ダイナマイトでピーター・アーツから勝利を収め、12 年ROADFC 初代ミドル級チャンピオンに輝く。14 年12 月6日パンクラスで桜木裕司との対戦を最後に現役を引退。
現在は企業向け人材育成サービスを提供するエーワルド株式会社を設立、日本で初めて格闘技を応用したプログラム「ファイトネス」で100社以上の企業でチームビルディング、ストレスリリース、メンタルタフネスとして企業研修を実施。

著書
科学的に証明された心が強くなるストレッチ」(アスコム)
ビジネスエリートがやっているファイトネス 体と心を一気に整える方法」(あさ出版)

大山峻護氏 オンラインセミナー

元総合格闘家 初代 ROAD FC ミドル級王者:大山 峻護氏オンラインセミナー
~「勘違い」に導かれた最強の男~

8月24日に開催されたオンラインセミナー。今回は、あのピーターアーツにも勝利した、元総合格闘家で初代 ROAD FC ミドル級王者の大山峻護氏にご講演いただきました。彼の格闘家人生を導いたのは、類稀なる「勘違い力」です。徹底的に勘違いし未来の喜びを描き続けることで、どんな困難も乗り越え、日本だけでなく世界にまで名をとどろかせる格闘家となりました。

 講演を拝聴した筆者が1つだけ強く申し上げるとすれば、それは、「このマインドは、格闘家のみならず、どんな目標を持つ人々でも明日から実践できる、そして実践すべきものである」ということです。

大山氏について

今回ゲストとしてお話しいただいた大山氏は

・中学2年生から、柔道の名門である講道学舎に入門

・第28回全日本実業柔道個人選手権大会・男子81kg級優勝

・幾多の怪我からの復活

・最強の一族”グレイシー”に2勝

・ピーターアーツに勝利

という、輝かしい実績の持ち主です。

 しかし、大山氏の人生は、決して順風満帆ではありませんでした。彼は、数々の困難や逆境を持ち前の「勘違い力」で乗り越え、自分で描いた未来を、屈強な精神力と死に物狂いの努力で実現させてきました。この「勘違い力」、言い換えるならば、 「成功を妄想する力」「未来を描く力」と言ったところでしょうか。

 本記事では、大山氏の人生の節目ごとの「勘違い」をご紹介しながら、彼の半生を簡単に振り返っていきたいと思います。

講演レポート

柔道を始めたきっかけは「〇〇になれたら・・・」という勘違い

 友達がおらず喘息持ちで、体も小さく、コミュニケーションをとることも苦手で、今の大山氏からはとても想像のできないような幼少期だったそうです。

 そんな彼の人生を一変させたのが、ウルトラマン

 ウルトラマンを見た時、彼の身体に衝撃が走りました。「このかっこいいヒーローはなんだ」「僕もこんなヒーローになりたい」と、日々、「自分がウルトラマンになったらこんな景色が見える」「自分がウルトラマンになったらこんなことをする」と、「勘違い」しながら過ごしました。これをきっかけに、大山氏は柔道を始めることになります。

弱いけど、勘違いし続けた幼少期

 近くの道場に入門したものの、体が小さかった大山氏は、体の大きな仲間に投げられ、負け、稽古の度に泣いて家に帰っておりました。しかし、帰宅後、大山氏は「勘違い」をするのです。「僕はあいつらより強くなれる」と思い続け、強くなった自分を想像して、彼らを投げ飛ばす妄想する。そうして大山氏は、また稽古に向かいました。

柔道の名門”講道学舎”へ入門

 講道学舎は、4名のオリンピック金メダリスト、6名の世界柔道選手権優勝者を輩出した、全国トップの柔道の私塾です。小学生チャンピオン、中学生チャンピオン等、輝かしい実績を持つ柔道の金の卵が、日本全国から入門しておりました。大山氏は、講道学舎6期生でバルセロナオリンピック金メダリストの古賀稔彦選手に憧れ、講道学舎の門を叩きます。

 その入門試験は、塾生との試合。全国トップレベルの実績を持つ塾生に対し、これといった実績はなかった大山氏。その実力差は明らかで、彼は次々に投げ飛ばされてしまいました。しかしながら、誰よりもうまく受け身を取っていた大山氏。その受け身のうまさを買われ、入門試験に合格しました。

 こうして入門したものの、依然として先輩や同期・後輩との実力差は明白なまま。組んでは投げ飛ばされ続ける日々が続きました。こんな中でも大山氏は、自分が強くなったと勘違いしながら、そしてヒーローになった自分を想像しながらモチベーション強化し、来る日も来る日も稽古を重ねました。

変人扱いされた大学時代

 国際武道大学に進学した大山氏。

 当時、柔道部員は約300人。その中で「その他大勢」から抜け出すことは本当に難しかったといいます。そこで何とか突破口を探そうとする中で出会ったのが、玄米採食を勧める1冊の本。その本に出会ってからというもの、どんなに厳しい練習中でも 玄米を中心とした食事をとり、肉や乳製品等を極力避けておりました。やがてこのことが同期の中で噂になり、「大山は変な宗教に入っている」と噂が立ったそうです。

 また、大山氏は当時では珍しい「お香」にもハマり、部屋で常にお香を焚いていました。そうすると自ずと服や体からお香の匂いがしてくるのですが、これまた同期に「大山からは変なにおいがする」と敬遠されました。

 更に大山氏は、楽器にも興味を持ちます。選んだ楽器は、オカリナ。そうすると次は、「大山の部屋から夜な夜な変な音が聞こえる」と、同期から不気味がられるようになってしまいました。

 柔道も強くなれず、友達も離れていった大学時代。しかしそんな中でも、強い自分を妄想し、勘違いをし、モチベーションを常に高く保ち練習に励みます。すると大学4年生の時に、当時は珍しかった「飛びつき逆十字」を武器に大躍進。全国大会決勝にまで駒を進めました。決勝の対戦相手は、中学時代の同級生。中学・高校と全国1位に輝いた同級生に、惜しくもポイント負けをしてしまいますが、最後まで健闘。これまでの柔道人生で最高の成績を収めたのです。

誰かのために戦うことの大切さを知る

 大学卒業後は、京葉ガスにて柔道を続けていた大山氏。

 順調に選手生活を送っていた大山氏ですが、実業団の全国大会の3ヶ月前に祖父が倒れてしまいます。駆け付けた病室で、何とか祖父を元気づけようと出た言葉が「次の大会で優勝するからね」。その言葉に優しく微笑んでくれた祖父でしたが、試合の1ヶ月前になくなってしまいました。これを受けて、「祖父のために優勝する」と心に誓った大山氏。見事大会では優勝し、「これまでは自分のために戦ってきたけど、誰かのために喜びを描くことで、想像以上の力が湧いてくる」と、新たな価値観を学んだといいます。

総合格闘家への転向

  大山氏の人生が、総合格闘家の桜庭和志選手によって一変します。

 「PRIDE GP 2000」を東京ドームにて観戦していた大山氏は、桜庭 VS ホイス・グレイシーの90分に及ぶ死闘を目の当たりにしました。桜庭選手の勝利を告げるコールに鳥肌が立った大山氏は、「このリングで戦いたい」という強い気持ちを抱き、これをきっかけに会社員を辞め、総合格闘家としての人生を歩み始めます。

 そのプロデビュー戦は、アメリカの総合格闘技大会「King of the Cage」。当時85kgだった大山氏に対して、対戦相手は120kgでした。体格では圧倒的に不利な大山氏でしたが、当時のトレーナーから日々「大山くんの右パンチは凄い。この右パンチで倒れない相手はいない。」と言われ続け「勘違い」していた大山氏。「そうだ、右パンチだ」と、右パンチを繰り出し、開始17秒、カウンターの右フックでKO勝ちを収めました。

VS”グレイシー一族” トラウマを克服

当時、「負けられない一族」として世界にその名を轟かせていたグレイシー一族。3度にわたり一族と対戦した大山氏ですが、一族の迫力・圧力が凄かったと当時を振り返ります。

 ヘンゾ・グレイシーに勝利した後、ハイアン・グレイシーに右腕を折られて敗北。3戦目であるホドリゴ・グレイシー戦が決定してから、大山氏は初めての経験をします。試合に勝利するイメージが描けなかったのです。2戦目のトラウマが強く残り、試合前から相手に負けてしまっておりました。

 そこで大山氏は、あの時負けてしまった弱い自分には勝とうとマインドチェンジをして試合に臨みます。リング脇で「絶対負けない」と叫び続け自らを鼓舞しながら戦った大山氏でしたが、最後の最後で更に彼を奮い立たせたのは、セコンドについていた中学生からの同級生2人でした。彼らにグッと睨みつけられながら激励されたとき、こいつらのために戦おうと決意し、見事トラウマを克服して勝利を収めました。

人生最大の勘違いから、ピーター・アーツに勝利

メンタルトレーナーから過去の実績を外して考えたときに、一番実現したいことはなんですか?と問われた大山氏。それまでは、これまでの実績や自分の実力等を鑑みた目標設定をしておりましたが、この問いにハッとさせられました。そして、「K-1 Dynamiteでピーター・アーツを秒殺すること」を目標にし、7ヶ月間に及ぶ壮大な勘違いを始めるのです。

 K-1 Dynamiteはオープン大会ではないため、マッチメイカーからのオファーがなければ出場できません。ましてや、K-1世界王者であったピーター・アーツとの対戦は、夢のまた夢の話でした。しかし、大山氏にはそんなこと関係ありません。「俺はK-1 Dynamiteに出て、ピーター・アーツを秒殺する」と日々心に念じながら、まだ決まってもいない試合に向けてトレーニングを開始します。ですが、その練習も虚しく、試合1か月前にK-1 Dynamite の対戦カードが全て決まり、そこに大山氏の名前はありませんでした。

 普通なら失意のどん底に落ちるこのタイミング。しかしここから、大山氏の人生最大とも言うべき勘違いが始まります。対戦カードが決定して、自分が出場できないことが確定したにも関わらず、沖縄合宿に参加したのです。「試合もないのに何しに来たんだ」と言われたそうですが、なんのその。試合を控えている選手以上に高いモチベーションでトレーニングに励みます

 すると試合の9日前、奇跡が起きます。突然鳴った、マッチメイカーからの1本の電話。ピーター・アーツと対戦を予定した選手の急遽の欠場を知らせるものでした。そして、「大山、戦う準備はできてるか?」とのオファーを即座に快諾。それもそのはず、戦うかどうか分からない相手を見据えて、7ヶ月もの間準備してきたのですから。

 そして迎えた念願の試合。大山氏は、僅か30秒でピーター・アーツに勝利しました。

講演では…

 このように、数々の「勘違い」エピソード、そしてそこから未来を描き切る力を、当時の細かな心境を交えながらお話しくださった大山氏。

 他にも、大山氏が現在大切にしている生き方や、過去の経験とメンタルトレーニングの技術とを照らし合わせた際に見えてきたことなど、誰もが1人の人間として知るべき「勘違いの技術」「生き方」等をお話しくださいました。

 

 

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