「笑って死ねる人生がいい」阿部雅龍氏オンラインセミナー – 助成金制度推進センター
「笑って死ねる人生がいい」阿部雅龍氏オンラインセミナー
2022.07.15
植村直己冒険賞受賞
阿部 雅龍 氏
略 歴

1982年12月生まれ。秋田県出身。秋田大学在校中の21歳から冒険活動を開始。単独・人力をテーマに世界を冒険する。人力での冒険距離は20000km以上。
2006  南米大陸単独自転車縦断 エクアドル赤道直下‐アルゼンチンラパタイア湾 290日 10,924㎞
2010  アメリカContinental Divide Trail単独踏破 カナダ国境からメキシコ国境までの
アメリカンロッキー山脈縦走 47日 4,200㎞
2011  カナダGreat Divide Trail単独踏破 カナダ‐アメリカ北米大陸縦貫するロッキー山脈縦走
42日 1,200㎞
2012  ユーコン川単独カヌー アラスカ‐カナダ間のユーコン川単独カヌー 17日 750㎞
乾季アマゾン川単独筏下り ユーコン川から続けて実施 42日 2,000㎞
2015  カナダ北極圏単独徒歩 レゾリュート‐グリスフィヨルド(500㎞)
グリスフィヨルド周辺徒歩(250㎞) 54日 750㎞
2016  グリーンランド北極圏単独徒歩750㎞
2017  人力車を引いての全国一宮参拝6400㎞「リキシャジャパントラバースプロジェクト」
2019  日本人初踏破メスナールート単独徒歩南極点到達 918㎞
板橋区文化特別栄誉賞受賞。
2021 同じ秋田出身の白瀬矗(のぶ)中尉の足跡を辿る南極点到達を目指したが、途中撤退
2022  第26回植村直己冒険賞 日本人冒険家として最高名誉と言える賞を受賞
著書に学校推薦図書『次の夢への一歩』角川書店

阿部雅龍氏 オンラインセミナー

「笑って死ねる人生がいい」阿部雅龍氏オンラインセミナー

7月14日に開催されたあしたのミカタセミナー。今回のゲストは、植村直己冒険賞受賞
 阿部雅龍 氏です。
対談相手は、元ローソンエンターメディア社長の野林徳行さんです。
20年冒険を続けた中で体感した冒険、人生、ビジネス。
迷ったら「やばい方を選ぶ」とおっしゃる阿部さんの生い立ち、生き方に迫ります。

 

阿部さんについて

・南米大陸単独自転車縦断やアメリカContinental Divide Trail単独踏破、アメリカContinental Divide Trail単独踏破、グリーンランド北極圏単独徒歩を行う

・人力車を引いての全国一宮参拝6400㎞「リキシャジャパントラバースプロジェクト」

・日本人初踏破メスナールート単独徒歩南極点到達 918㎞板橋区文化特別栄誉賞受賞

・同じ秋田出身の白瀬矗(のぶ)中尉の足跡を辿る南極点到達を目指したが、途中撤退する。2022年に第26回植村直己冒険賞 日本人冒険家として最高名誉と言える賞を受賞

というご経歴をお持ちの方です。

「夢を追う男」として「夢を追う素晴らしさの共有」をテーマに冒険先からさまざまなメディアやツールを使って、発信しています。

記事では、阿部さんの人生をお聞きしながら、「人生の冒険」を楽しむ秘訣に迫っていきます。

 

冒険家になったきっかけ

阿部さんの子供時代は、クラスでグループを作る時に一人余るタイプの子供であった。10歳の頃に母親が引っ込み思案を気にして、冒険の本をプレゼントする。本をきっかけに冒険家に興味を持つ。
秋田大学時代に勉強が嫌いでやりたいこともない。就職すると人生が決まってしまう。人生は、一回しかないから笑って死ねる人生を送りたいと幼い頃になりたかったと冒険家を志す。

「死ぬって言葉は今を生きればいつ死んでもいい」

 

笑って死ねる人生

4歳の頃に父親を交通事故でなくす。「人って死ぬんだな」と漠然と思い、〝生と死〟を身近に感じていた。いつか死ぬ人間が、その時までどうやって生きていくのかを幼いころより心の中で考えていた。
大学三年生の時に冒険家である大場満郎さんの「笑って死ねる人生がいい」という言葉に出会い、冒険とともに生きていく道を選択した。

「死は身近にある。僕は今を後悔したくない」

単独、人力にこだわる理由

人間の体、五感で感じる日差しや風、空気を感じたい。感じる感覚が好きだから。
学生時代にしていた空手の影響で自然と殴り合い、会話をしてぶつかりたい。
単独で冒険をすると一人なので自然と会話をするしかない。自然と会話をして混ざり合いたい。

「自然が遊び場。自然も平等で理不尽」

 

バンフでの生活

冒険をするうえで、それを発信していく表現手段を広げるために自分で動画撮影して編集し、リアルタイム配信していきたいという構想が芽生え、カナダのバンフ国立公園を活動拠点とする映像会社を調べた。
その会社に履歴を送り連絡をとるが「今は豚インフルエンザが流行っており、観光客が少なく、スタッフを増やせません」と断れる。
それでも諦めきれず「とりあえずカナダに行くので会ってください」
「当面、お給料をもらえなくていいので働かせてください」と乗り込む。
何かをやろうとした時に一度断られたりしたくらいで簡単に諦めてしまっていたのでは、何も変わらないし変えられない。
結局カメラを教えてもらえることになった。

「躊躇していては前へは進めない」

 

アマゾン川筏下りでマラリアを発症

アマゾン川を筏で下る冒険をするためには大きな筏が必要で一人では作れない。そこでアマゾン川に周辺にいる人たちに「自分はアマゾン川を筏で下りたいんだ」話かけ続けた。当初は「バカなこと言っているヤツがいる」と軽い騒ぎになったが続けていると本気でやりたいことを感じ取ってくれた人が
「自分は作れないけど人を紹介できる」と紹介され、筏を作ることに成功する。
アマゾン川筏下り中にマラリアになる。熱が上がったり、悪寒になったりを繰り返し、幻覚も見るようになる。
そういう中筏は自分でどうすることもできず川に流されていた。
そんな時に目に入ったのが冒険に出る前に講演した幼稚園の子どもたちからもらった応援旗だった。日本に帰ったあと、アマゾン川の話をする約束していた。約束を守らない大人にだけはなりたくない。生きて帰らなければいけない。
ビスケットを口に入れ、無理矢理水で喉の奥に押し込み、薬も飲んだ。翌日には立つことができるようになった。
子どもたちとの約束を守らなければいけないという思いで自分自信を奮い立たせられたからこそ、なんとかできた。

「生きて帰らなければいけない」

南極時代

同郷の白瀬矗隊長が挑戦して断念したルートで南極点を目指した。100年以上挑戦した人がいないルートを「憧れの先輩ができなかった領域に行きたい」と阿部さんは挑戦。
スタート地点に到着した時には、100年以上ぶりに人が立ち、100年間、世界の誰も
踏み入れない場所に自分は立つことができ、世界で一番幸せと感じる。
あと500kmのところで断念する。
南極は、民間ではいても良いという期間の定めがあり、規則を守らないと南極条約を守らないと日本人の冒険家が南極で活動できなくなる。それはやるべきではないと決断する。そこら中にあるクレパスが笑ってるように見え、落ちれば楽になれると破滅の方が楽に見えるようになる。
その時に大場満郎さんの「死ぬくらいなら、帰ってきて頭を下げないとダメだ」という言葉で死ぬのを止める。

「先人の夢を繋いで夢は繋がる」

 

やっているのは冒険ではなく、ロマン

今でやってきた冒険は過程であり、南極の冒険を必ず達成する。結果が見えないからこそ、達成した時の何かを感じたいからいく。
やりたいと思ったことは思うだけでなく、動く。阿部さんは、人生最大のチャレンジを失敗したが失敗して落ち込んでいるのではなく動いていきたい。
年末には再度南極にチャレンジを行う。
南極の景色を共有して、「ちょっと自分も頑張ろう」となっていただきたい。

「不安なことはあるが「やる」。出来るように未来を作っていく。」

 

冒険とは?

「みんなが止めた方がいいよ」と伝えてくるのが冒険。みんなが出来るなら、みんなが良いと思う、それは冒険ではないです。
冒険とは

主体性がある
自分の知らない世界に一歩踏み出すこと

生きているみなさんが冒険家です。
新しい仕事をする、結婚をする、子育てをする全てが自分のいなかった領域にいく、つまり、自分の足で新しい世界に一歩を踏み出す。
「主体性を持つ」「自分の知らない世界に一歩を踏み出す」の2つを満たしています。
人類の生きている人、全てが冒険家です。何が起こるかわからない冒険を一緒に楽しみましょう!

「人生の冒険を共に楽しみましょう!」

セミナーへのご参加は、
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