小渕 暁子 氏 オンラインセミナー
褒められることから始まった イラストレーターとしての人生
1月27日に開催されたオンラインセミナー。
今回のゲストは、“平成おじさん”で一躍ときの人となった元内閣総理大臣の小渕恵三氏の長女、小渕 暁子(おぶち あきこ)さんです。
対談相手は、元ローソンエンターメディア社長の野林さん。
癒しと不思議の空気満載の「暁子ワールド」を楽しみながら、その生い立ちや考え方に迫ります。
小渕氏について
■略歴
上海万博において日本産業館のアテンダントユニフォーム、事務局スタッフユニフォーム、トイレ博士、マスコットキャラクター昆昆(クンクン)のデザインをご担当。
シチズンや松下電工の商品デザインを手掛け、スタジオジブリやサンリオともお仕事をされています。
■お仕事
イラストを中心にタオル、ハンカチ、エプロン、ネクタイ、メガネ等の デザインと商品企画。
企業のブランドマークデザイン、デザインコンサルタント
■著書
“平成おじさん”でお馴染み、元内閣総理大臣の父 小渕恵三氏のエッセイ、「父のぬくもり」 「父が読めなかった手紙」等
講演レポート
「褒められる」ことから始まった描くということ
野林
政治家の家庭に生まれながら芸術家の道を歩むに至った小渕さん。どのような幼少期をお過ごしになられていたのでしょうか?
小渕
幼稚園の頃は本当に話さない子供で、先生から「大丈夫?」とよく心配されていました。
言葉が苦手だったので淡々と絵を描いていることが多かったのですが、その絵を周りの方がよくほめて下さったんですね。そのおかげか、絵を描くことが好きになりました。
野林
褒めるということはとても大事ですよね。
私も高校で講師をやっておりますが、例えば「100文字書いて」という課題に2文字しか書いてこなかった子どもでも、20分かけてほめてあげるんです。そうすると、それが嬉しくて、また褒められたくて、主体的に頑張るようになるんです。
お子様のいらっしゃる視聴者の皆さん、もっともっと褒めてあげてください。
小渕さん、小学生の時には、お怪我をされたんでしたっけ?
小渕
そうなんです。ランドセルが原因で大怪我をいたしまして、1年間、利き腕の右手が使えなくなってしまいました。
その時に頑張って左手で描く練習をしていたので、今でも両手を使ってイラストを描いております。左手がペンで、右手が筆ですね。
野林
両手を使うということが、独特な感性を育てたのかもしれませんね。小学校高学年で、また変化があったんですよね?
小渕
絵で表彰されるということはあまりなかったんですけど、文化祭や卒業文集など、クラスの代表として絵を描くことが多くなってきました。
また、父の趣味でピアノや日本舞踊も習っておりました。日本舞踊を習っている頃の写真は、父が総理の時にも机に飾ってくれていました。
「刺激」と「幅」に育てられた中学~大学時代
野林
中学・高校では美術部に入ったんですよね。
小渕
はい。とても厳しい女子校だったのですが、美術室だけは異空間でした。
先生が焼き芋を焼いていたり、コーヒーを入れてくれたり。 コーヒーの匂いと絵の具の匂いと、とても落ち着ける居場所となりました。
その後、16歳の時にイギリスに行きました。80年代のロックに心を打たれ、現地でロックな髪型にカットしてもらうもあまりにも似合わず、「外国で髪を切るとこうなるのか」と思ったのは良い思い出です。寡黙だった割に、意外とフットワーク軽く動いていたんですよね。
渡英は、いい刺激になりました。
野林
大学では、美術を学びながら、教員免許もとられたんですよね?
小渕
はい。学芸員や芸術家という道もあったのですが、自ら絵を描きながら子供達に絵を教えたいという思いから教員免許を取りました。
玉川大学に通っていたのですが、油絵だけでなく、色んな経験をいたしました。染色、金工、木工…。イスを作らないともらえない単位があったりと、幅広い芸術に触れることができました。
野林
色々なものを自分ごととして考えるということはとても大事ですよね。
高校でマーケティングの授業で、普段目にしているあらゆる広告について「あれは何故ここにあるのだろう」「どういう意味が込められているのだろう」と考えてもらうと、一気に自分事となり、思考が開けていきます。
通常の勉強とはまた違った形で、子どもが色々な経験を出来る環境を整えていけたらいいですよね。
その後はどのような進路を選択されたのですか?
小渕
教員になるつもりだったんですけれども、「22歳の私に教育ができるのか」と不安になってしまい、専門学校に進みました。
父には、「大学を卒業したのだから、就職するか嫁に行くかにしなさい」と言われたのですが、「父の仕事の手伝いをする」という条件付きで、夜間のイラストの学校に通うことになりました。
そこで児童教育についても学べたので、今の絵本作りの基礎は、この2年間にあると思います。
イラストで生きることを決めたその後
小渕
ここからが、実は野林さんとのご縁を感じる話で…
野林
そうなんですよ。私、リクルート時代にリクルートフロムエーという求人誌のマーケティングを担当していたこともあったんです。この雑誌を通じて、お仕事にご応募下さったんですよね?
小渕
そうなんです。とある恵比寿の会社さんで、社長さんがキャラクターデザインをやられているところで勉強をさせていただくことになりました。
野林
その4年後に独立をされていますね。
小渕
はい。その会社の社長さんに「イラストをもっと描きたい」と相談したところ、「この会社で働きながらイラストを描くのは、君が最も実力を発揮できる形ではない」と、温かく背中を押して下さりました。営業やその他沢山のことも学ばせていただき、形としては「独立」「退社」となったのですが、その後もその会社のイラストの仕事は続けさせていただいておりました。
野林
凄くいい形での独立ですね。
リクルートには「退社」という言葉がなく、「卒業」という言葉を使うんです。なので、会社や社内の人間関係に終わりがくるわけではなく、取引先になったり、出戻りをしたり、OB同士が起業したり、とそれぞれの「ステキ」がそのまま残っていきます。
独立すると、出退勤のタイムカードを押す等、細かい制約がなくなり、100%自分のやるべきことに集中できるので、生産性が上がりますね。その社長さんも、「小渕さんが気持ちよくイラストに集中できる形」を考えた結果、独立を応援したのではないでしょうか。
小渕
恐らくそうだと思います。
野林
その後、数々のメーカーやブランドとのお仕事をされていったと思いますが、小渕さんはどのようなスタイルでお仕事をされているのですか?
小渕
私は、とにかく「断らない」というポリシーでお仕事をさせていただいております。
野林
凄いですね!僕は自分のポリシーに添わないものだと結構断ってしまいます。
小渕
私もポリシーがあるにはあるのですが、「もしかしたら自分が間違っているのかもしれない」という思いがどこかにあるんです。なので、例え気が進まなかったとしてもとりあえずやってみますし、クライアントさんとの調整でデザインやイラストにかなりの修正が入っても、受け入れてしまいますね。
野林
凄く柔軟で前向きですね。
ここで、来場されている方から質問があるようです。
会場からの質疑応答
経営者は、数字を理詰めで追うことが重要視されますが、昨今の経営者は前向きな直感やセンスなんかも必要とされている気がします。何か小渕さんからご意見いただけませんか?
小渕
子供のころから経営者の方とお話しさせていただく機会が多かったのですが、皆様、凄く優しいんですよね。
数字を負わなければいけないという責任がある中でそのような優しさも持ち合わせていらっしゃって。だけれども、その分、凄く孤独だと思います。
なので、孤独を感じたときには、どうか、色んな仲間がいること、あなたには色んな温かい気持ちが向いていることを思い出していただきたいです。もしお辛いことがありましたら、私に連絡をください。私は断らないので(笑)
講演では…
以上、終始大らかなお人柄で会場を温かい空気で包んでいらっしゃった、小渕氏の講演会レポートでした。講演本編では、数々の商品やイラストの誕生秘話をお話しいただいております。是非チェックしてみてください!!