元みずほ常務が自ら学んだ、コロナ禍の ” 今だから ” こそ初めて語る 「今、私が思う大切なこと」 乗松文夫氏 オンラインセミナー – 助成金制度推進センター
元みずほ常務が自ら学んだ、コロナ禍の ” 今だから ” こそ初めて語る 「今、私が思う大切なこと」 乗松文夫氏 オンラインセミナー
2021.06.23
株式会社FINC Technologies
会長 CWO乗松 文夫 氏
略 歴

1949年生まれの72歳。
慶応義塾大学経済学部卒。1973年日本興業銀行入行。
執行役員個人営業推進部長を経て、みずほフィナンシャルグループの発足とともに、みずほ銀行営業部門担当常務に就任。2003年協和発酵工業に転じ、その後、協和発酵キリン常務、協和発酵フーズ社長、総合商社であるミヤコ化学社長を歴任。更に岩手県大船渡市・陸前高田市の震災復興に携わる
。2014年ヘルスケアベンチャーのFiNCに参画し現在に至る。金融、メーカー、商社、ベンチャー企業など幅広い業界に通じ、豊富な人脈を持つオールラウンドなマネジメントのプロ。

乗松文夫氏 オンラインセミナー

元みずほ常務が自ら学んだ、コロナ禍の ” 今だから ” こそ初めて語る 「今、私が思う大切なこと」

乗松文夫氏 オンラインセミナー

衆議院会館において開催されたオンラインセミナー。
今回は、みずほ銀行の常務からベンチャーへと異色のキャリアチェンジをされた乗松氏に、その半生を振り返りながら、「今だから思う大切なこと」をお話しいただきました。人生における色々な出来事と、その出来事から学んだ教訓をお話しいただいたため、さながら歴史上の偉人の伝記を聞いているようなセミナーでした。
本記事では、こちらのセミナーをギュッと凝縮してレポートいたします!

乗松氏について・・・

今回ゲストとしてお話しいただいた乗松氏は

・日本興業銀行が世界時価総額ランキング2位の時代に第一線でご活躍
・銀行内であらゆる業務を経験
・元みずほ銀行常務
・株式会社 FiNC Technologies に創業2年目から参加
・その後、FiNCを日本有数のベンチャーへと成長させる

といった、いわば、最強のオールラウンダーであり、かつ、あらゆる分野の専門家です。そんな乗松氏が、今、その反省を振り返り、現在の自分自身を形成した哲学を、多くのエピソードを交えながらお話しくださいました。

講演レポート

幼少期:Integrity&Honesty ~誠実である力 互いに尊重し、信頼する~

乗松氏は、ごく普通の公務員の家庭の次男として、1949年、東京に生まれました。
お茶目で周囲の人に好かれるお子様だったそうで、依頼ごとはなんでも引き受けていたとか。家庭や学校、周囲の大人たちから、素直に何でも吸収して育ちました。

中学時代:Teamwork ~共同する力、仲間の幸せを心から願う気持ち~

成績優秀で、弁論大会では優秀賞に輝くなど、学内トップの秀才だった乗松氏。
当時から周囲を巻き込む影響力が片鱗を見せ始めます。普通のクラスメイトはもちろん、先生達が手を焼くような不良グループからも大人気で、親衛隊のようにボディーガードをしてくれていたほど。
同じ目的のためであればどんな相手であっても共同することの大切さ、そして、どんな相手であっても一人の人間として真剣に接して、その幸せを心から願う大切さを学びました。

高校時代:Seize The Opportunity ~機会を掴む力~

当時、都内の高校御三家の一角であった都立戸山高校に入学。
中学時代はトップの成績を誇っていた乗松氏でしたが、戸山高校では、学年150位にまで転落。「井の中の蛙」を思い知らされました。

 

しかし、自分を150位まで貶める優秀な同年代と過ごせる時間を貴重な機会と捉え、「失敗したら次はない」と腹をくくり、ここ一番の集中力でめげず・くじけず、高みを目指し続けました。

大学時代:Speedy ~素早く行動する力。相手を一歩、二歩先回り~

乗松氏が大学受験に向けて勉強に励んでいたまさにその年、安田講堂闘争の影響で、歴史上初めて東京大学の入試が中止となりました。結果、乗松氏は慶應義塾大学に入学いたしました。

 大学時代は勉強三昧で、授業は欠席せず毎回最前列で聴講。クラブ活動は経済新人会金融研究部に入部し、ゼミでは金融論を学びました。金融を学んでいたのは、大学2年時から興銀(日本興業銀行)への就職しか眼中になかったからだと言います。
なぜ興銀だったかといえば、「新しい日本の産業を作れるのは興銀しかない」という思っていたからで、その目標に対して全くぶれることなく、目標から逆算して行動をし続けました。

興銀時代:Listen To Others & Teamwork ~傾聴する力 相手の心を推し測る。立場・役割に捉われず、ボールを自ら拾う勇気を持つ~

1973年、かねてからの目標通り興銀に入行した乗松氏。しかし、その年の10月に第四次中東戦争をきっかけに第一次石油危機が勃発。社会人人生、波乱の幕開けとなりました。

 興銀では最終的に執行役員個人営業推進部長となる乗松氏ですが、そこに至るまでには、様々(という言葉で片づけてしまうにはとても失礼なほど色々)な経験をされています。

仙台支店、審査、営業、海外本部(企画)、ニューヨーク支店、ボンドチーフディーラー、大阪支店、出向(アラスカパルプ)、個人部門

等々、銀行員として経験し得る業務はほとんど網羅し、おまけに、アラスカパルプではおよそ銀行員の業務とは思えない経験をされました。

 おかげで、どんな状況にもすぐ適応し馴染める体質になったという乗松氏ですが、元々、何を任されても気にしなかったそうです。
銀行では「この部署に入れたら出世コースだ」「ここの部署に飛ばされたら出世はないな」という相場があるのですが、乗松氏は、どこの部署に配属されても、どんな仕事を任されても、「任された仕事をしっかりとやり遂げる」というポリシーで幾多の難局を乗り越えてこられました。

どんなにつまらなくても気にせず、同じペースで淡々と遂行し、決して愚痴を言わない。こうして、一歩一歩着実にキャリアを積み重ねていきました。

みずほ時代:Integrity&Honesty ~お客様に、誠意を持って、相手と同じ熱量で接しているか~

日本興業銀行は、平成元年、世界時価総額ランキングの2位にランクインしておりました。この年は、3位に住友銀行、4位に富士銀行、5位に第一勧業銀行、7位に三菱銀行がランクイン。
当時の日本の銀行の規模や影響力の大きさが伺えます。
 そんな中、2002年4月に、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行の3社統合によりみずほ銀行が発足。しかし、発足時、記念のテープカットをするまさにその瞬間、裏ではトラブルが起きておりました。なんと、システムトラブルによりATMが停止してしまっていたのです。

 その後、乗松氏は、営業部門担当常務としてお詫び行脚の日々。
 その時、同じようにお詫びをしている方よりも、圧倒的にトラブル数に差があったそうです。真にお客様の立場に立って、誠心誠意お詫びをしていた乗松氏。「誠実であることの大切さ」を学んだと言います。

復興時代:Improvement ~自分の考え方・行動を変える素直さがあるか~

東日本大震災・津波により人生観が一変した乗松氏。
「安住している自分が情けない」「生きているうちに何か出来ることはないか」
と考え、気仙広域環境未来都市構想へ参画。被災地の復興に取り組まれます。

それまで銀行で様々な業務に従事していた乗松氏でしたが、それでも、これまでのキャリアを投げ出すこの決断には、相当の勇気が必要でした。このプロジェクトへの参画や、プロジェクトでの活動を通して、考え方・行動を変える素直さの大事さを痛感されました。

 

講演では…

 上記のフィロソフィーがどうFiNCに取り込まれているのか、そして、今後、乗松氏がどんな未来を目指しているのかについてもお話しいただきました。

 その他、各教訓についてのエピソードも満載です。
 日本の銀行が世界時価総額ランキングを総なめにしていた時代に大活躍をされ、その後ベンチャーに転身した後も大躍進を続けている乗松氏のフィロソフィーをお話いただきました。

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